らくよう日和

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岡山大学と旧陸軍について

岡山大学津島キャンパスが旧陸軍第十七師団司令部の跡地に建てられたことはご存知でしょうか。

学生やOB,OGの方なら、レンガ作りの建物や白い洋風建築の建物が構内にあるのを見たことがあると思います。そしてそれらが旧軍の遺構であることも、どこからともなく聞いて知っているのではないでしょうか。「俺はまさにその遺構の中で授業を受けているぞ!」という工学部生の方もいらっしゃるかもしれません。

Googleで「岡山大学 旧陸軍」などと検索すると写真付きで解説されたページがいくらかヒットします。

当記事では、管理人が岡山大学在学中に聞いた旧軍に纏わる噂を2つご紹介します。どちらも真偽は不明ですが、だからこそWeb検索で出てこない情報となっております。

1. 岡山大学津島キャンパスから運動公園まで伸びる道は滑走路だった?

秋にはイチョウ並木が大変美しく、ラ・ムーマートやファミマがあり、学生の生活の中心地とも言える南北に伸びる通り。(仮に南北通りと呼びましょう。)あそこはかつて滑走路であり、航空機が飛び立っていたらしいのです。

真偽を確かめるべく1950年以前の航空写真を見たところ、南北通りが滑走路かは分かりませんでしたが、当時の旧軍の練兵場(現在の総合運動公園)に当たる場所に、東西に伸びる立派な滑走路がありました。しっかり横風用滑走路もありました。

旧軍が駐屯していた頃からこの滑走路があるのだとすれば、南北通りが滑走路だという噂は偽のような気がします。横風用滑走路もあるのですから、南北通りから離着陸する必要がありません。

2. 岡山大学津島キャンパスは創設者らが旧軍の駐屯地を占拠してできた?

噂によると、創設者らが戦後のドサクサに紛れて旧軍の駐屯地を占拠しつくったのが岡山大学だとのことです。

こちらの噂は真偽を全く確かめられませんでした。岡山大学の歴史を調べても、そんな後ろ暗い(?)歴史は出てきません。

しかし、もし噂が本当なのだとしたら、岡山大学創設の裏には一体どんなドラマがあり、歴史の闇に葬られてしまったのだろうと、ワクワクしてしまいます。